総監督ノート

~学生自転車競技のコーチングメモ~

「個人」と「チーム」のバランスを取る難しさ

前回、当部の運営理念について書いた中で、年頭ミーティングにおけるもうひとつの主要テーマとして、「自己管理能力」と「チームプレイヤー」の両立という点に触れました。言ってみれば「個人」と「チーム」のバランスをどう取るのかという議論です。

これは、団体競技でさえも必要かと思いますし、特に個人競技全般、なかんずく自転車競技においては常に指導者が考えている「永遠の課題」「永遠の頭痛の種」ではないでしょうか。僕も全く同様で、正解を得ているわけでは決してないのですが、今回はこのテーマについて現時点の状況を書き残しておこうと思います。

自転車競技部員はなぜわがままなのか

はっきり言って、当部部員(ひいては自転車競技選手全般?)がわがままで個人主義的なのは昔からで、最近の若者がどうとかいう話ではありません。先輩方には大変失礼かもしれませんが、日本最古の歴史を持つ当部のシニア世代のOBから色々な昔話を聞くにつれ、これは永遠の課題なんだなという確信を得ています(具体例については支障があり過ぎるので割愛します)。

どうしてそうなんだ!というところですが、「だって自転車は個人競技だから」というステレオタイプな回答は一応あるでしょう。そのひと言の中には色々な要素が含まれていると思います。ただし、個人競技でもしっかりと部の運営や高次元のチームワークが実現出来ている体育会の部も少なくありませんから、当部や自転車競技に特有またはありがちな事情が他にもありそうです。僕が思い付く限りで言えば、以下のような背景・傾向があるのではないでしょうか。

①自分一人でもある程度は楽しく・強くなれる

そもそも「自転車に乗るのが好き」というのがモチベーションの根底に多かれ少なかれあるので、一人で乗っているだけでも自己目的の一定割合が満たされるスポーツと言えます。同じ個人競技でも例えばテニスなどのラケット系や武道系のように、最低一人は”相手”がいなければ練習さえ成立しにくい、とかならまだ良いのですが・・・。
また、学校に自転車部がなくてずっと一人で練習して強くなり全国大会に出て来た、ような選手もいまだに散見されるように、個人でも自己に厳しく頑張ればある程度のレベルまでは到達できる競技でもあります(もっとも、グループで練習したほうがもっと強くなれますが)。また最近では固定ローラーやZwiftでの練習が流行しており、単独練習化に拍車をかけているようにも思われます。
こうした土壌ゆえに、「別に自分さえ楽しく・強くなればいいでしょ」という感覚になりがちなのかもしれません。ただ一方、こうした特性があるからこそ、水泳やジョギングなどと同様にDoスポーツ・生涯スポーツの代表的なもののひとつとして、卒業後もずっと続けられるということでもあります。

②走る環境・チームを自分で選択できる

自転車競技は、たとえ部活に所属しなくても、ショップチームや実業団チームに加入して走る、あるいは個人として都道府県の競技連盟に登録さえすれば出場は可能、といった様々な選択肢を取り得るスポーツです。「学生だからその学校の部活に入り、高校総体や学生選手権を目指す」といった一本のレールしかないのであれば、おのずと自校チームへのロイヤルティは高まり、ワンチームでその目標を目指すという雰囲気も作りやすいでしょう。
ところが自転車競技の場合、近年では大学チームと実業団チームを跨って所属する選手も多く出始める(このこと自体は強化の観点でとても良いと思います)など、選手個人とチームとの関係が比較的フラットであり、選手一人ひとりが自分の走る環境、所属チームを選択できる(もちろんその実力次第で選択幅は様々ですが)という特徴があります。
だからといって、それが即、チームワークが育たないということとイコールにはなりませんが、どうしてもチームの育成や運営を支えるという意識の希薄化、思考スパンの短期化、あるいは「合わないと思ったら移ればいいや」という考え方になりやすい構造ではあると思います。もちろん、それはそれでひとつの考え方であり間違ってはいないと思いますが。

③チームメンバーで共有する時間・空間が少ない

個人競技であっても、例えば水泳ならプール、テニスならコートのように、練習場や設備を部員全員が共有し、少なくない時間を共に過ごすことで、連帯感やチームワークが生まれてきます。合宿所を持ち多くの部員が日常生活をも共にしている部なら、なおさらです。
これに対し、当部は(特に大学の場合)基本的に自宅から集合地点まで走って練習に行き、そのまま学校へ行って部室に自転車を置いて昼間は授業に散っていく。学校が終わったら各自自宅に走って帰る。練習場所はほとんど公道(時々競輪場をお借りすることがありますが)。合宿所はナシ。一部学部を除き1~2年生と3~4年生はキャンパスも異なる。このような環境下では、意識的にチームビルディングを促進していかなければ、個々がすぐバラバラになってしまいかねません。
また、単に「長い時間」を共に過ごせば良いわけでもなく、「一緒に頑張った時間」の長さが重要です。この点でも、全員がほぼ同じ練習メニューを行うスポーツと違い、(団体種目に向けたチーム練習が少しはあるものの)個々に出来るだけ適合したメニューを是とする自転車競技の弊害が出がちと思います。

団体競技からの”脱出組”が入部する

昔は「とにかく自転車が好き(メカ好き・ツーリング好きを含む)」というニッチな人間の集まりであった自転車競技ですが、当部でもこの十数年は、野球・サッカー・ラグビーなどメジャースポーツからの転向組が珍しくなくなって来ました。それ自体は良いことですが、裏返せば、中学や高校まで所属してきた団体競技に不向きだった者、そこから解放されたい者がこちらへ流入している可能性があり、だとすれば自ずと個人主義的になるでしょう。
もっとも、これまでの経験からすると、団体スポーツ経験のある部員は大切にすべきです。仮に上記のような動機付けだったとしても、指導者や主将がチームをまとめたいと言っていることについて賛同してくれる、または少なくとも理解はしてくれる部員が多いからです。高校からの自転車競技経験者よりもむしろリーダーシップに優れている場合が(残念ながら、とも言えますが)多いと思います。

これら以外にも色々な理由が考えられそうですし、「単に総監督が優し過ぎるからなんじゃないの」というご批判もありそうです。いずれにせよ、当部におけるチームワークの醸成は過去から現在にわたって苦労しているということです。

なお誤解なきように付け加えておくと、古くさい体育会的集団主義や、ムラ社会的協調・迎合主義を良しと言っているわけでは全くありません。あくまで前回述べた当部の運営理念である「全社会の先導者を育成・輩出する」ために最低限必要な、チームプレイヤーとしてのリーダーシップやメンバーシップを念頭に置いています。

年頭ミーティングで伝えたこと

この年末年始に、1年生から3年生までの20数名と、1対1で個人面談を行いました。各人の競技面だけでなく、チーム運営面についても色々聞いていくと、現状の当部もやはり少し個人主義に偏り過ぎであることが分かって来ました。
そこで、年頭の全体ミーティングでは、以下のような資料で、個人とチームのバランスを取ることについて改めて説明をしました。

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上記のような内容は、体育会の他の部にとっては当たり前のことで、少々びっくりされるような状況かもしれません。けれど実態はこんなところです。しかも、こうした状況は少し目を離したり目をつぶったりしているうちに、「あっという間に」形成されます。学生でも社会人でも同様だと思いますが、人間は楽なほうへ驚くほど容易に流れていくからです。

当部における「個人とチームの理想的なバランス」は、具体的には次のようなイメージではないかと僕は考えています:

・部員一人ひとりが高い自己管理能力と克己心を持ち、そうした部員が集結して切磋琢磨し意識の高いチームを形成している。

・平日の朝練・週末のチーム練は原則全員参加。ただし地理的に集合場所まで遠い部員は地域単位で集まったり、個別プランも可。

・また、高レベルで自己管理が出来ておりそれを周囲も認めているような選手が、さらなる成長のために当部ではなく競合他校の練習に行くなどの前向きな選択は可。チームとして過度に制約し個人の成長を阻害することはしない。

・いずれにせよ、練習日誌をweb上にきちんと残し、チームメンバーや指導スタッフと常に共有すること。この「透明性」を各自が約束してはじめて、「自立したアスリート集団」を維持出来る。

・当部部員であることにより様々なメリットを享受していることを忘れない。公式戦に出られることをはじめ、身近な練習相手、個人では揃えにくい機材、チームカーでの割安な移動、スポーツ医学研究所での高度な測定・分析、塾からの表彰(好成績を残せば)、等々をあたかも当然と思わないこと。これらは先輩達が118年間少しずつ積み上げてきた結果であり、現役諸君もそれをつなげていくのです。ただ単に、「慶應ジャージを着て試合に出ているメンバー」だから部員である、ということでは決してありません。

新しい「体育会」のあり方を目指して

福澤諭吉先生の有名な言葉のひとつに、「自由在不自由」(自由は不自由の中にあり)というものがあります。欧米の自由主義を日本へ紹介していく過程で、「自由」と「わがまま」は違うのだということを説いたものだそうです。まさにこの言葉の真意をよく噛み締め、理解して欲しいと思います。
その上で、前述したような当部の「個人とチームのバランス」は、塾体育会各部の中でも相当に「自由」ではないかと思います。それって体育会なの?と思われる方さえいるでしょう。しかし僕は、今後の社会においてこのような組織や文化の経験が必要になるのではと考え、そのモデルケースに自転車競技部がなれたら良いと考えています。

高度経済成長時代からリーマンショックくらいまでの間は、いわゆる団体種目的、一律管理的な人材でも企業の中で通用したでしょう。むしろそのほうが「使いやすい」と昭和時代に生きて来た上司達から重宝されたかもしれません。
しかし現在から将来に向けては、個人の技量(の高さ)、多様な人材、プロジェクト型の企業・社会になりつつあり、モノカルチャーではなくダイバーシティ、マルチタレントのマネジメントが既に必要とされています。そうした社会へ適合し、さらにそれを牽引していくには、当部のようなチーム運営を経験することは格好の予行演習になるだろうと思っているのです。

今年の箱根駅伝で優勝した青山学院大学の原晋監督は、その著書の中でこのようなことを言っています。

陸上競技の選手というのは出世しない傾向があるようなんです。出世しているのは大体ラグビーや野球。陸上競技は厳しい。それを変えたいという思いもあるんです。」
(出典:「力を引き出す」、原晋・原田曜平、2016、講談社新書 より抜粋)

僕はこれを、自転車競技と読み替えても全く同様なのではと思っています。もちろん、”会社での出世”のようなことばかりが人間の価値を表すわけでは決してありませんし、もともと自転車競技界は競輪選手になったり学校の先生になったりと多様な進路に拡散していくので、この喩えはごく一例ではあると思います。

ただし、これからの時代は、原監督が言っているような様子とは違って来ると思います。協調性・団体行動・上意下達、だけでは通用しない時代だからです(もちろん、現代の野球・ラグビーもそれだけでは決してありません)。部員達が出ていく先の社会は、「自立し洗練された個人」が「強力なチーム」を作ってグローバルに成功を収めていく、そんな世の中です(実際にGAFAと言われるようなグローバル企業はみなそうです)。その姿と、いま当部が目指しているチームのあり方とは、大いに重なり合うものでしょう。

こうした点を今後の指導スタッフやその予備軍である現役諸君は十分理解し、理想のチームづくりに力を合わせてもらえたらと思います。そして、そうした経験をもって当部から卒業し、どのような進路を取ったとしても、それぞれの世界での「先導者」になって欲しいと願っています。

(2020/1/15)