総監督ノート

~学生自転車競技のコーチングメモ~

落車時の対処法あれこれ

世の中は引き続き新型コロナウイルスの世界的感染拡大による影響が続いています。本塾も体育会各部の行事・合宿の中止、卒業式の中止、入学式の延期、高校では部活動禁止等の措置が取られています。当部大学チームは2月末に合宿を途中で引き上げて以降、しばらく自主練習期間としていましたが、基本屋外での走行練習であり濃厚接触状況にはならないこと等を踏まえ、各自の日常の感染防止に万全の注意を払いつつ、チーム練習を再開し始めています。

そんな再開後初めての週末、今日の練習には僕も参加したのですが、なんと超久々に落車してしまいました(社会人になって初めてかも?)。陸橋の下の見通しの悪いコーナーで、我々より前を走っていた別のグループが先に落車していたところへ時速35km/h程度で差し掛かり、先頭はぎりぎり回避出来たものの、後方走者は突っ込んで数名が落車。最後尾にいた僕も咄嗟のブレーキングをする程度の時間しかなく乗り上げてコケました。しかし自分で言うのも何ですが、もうすぐ48歳とは思えない完璧な受け身動作を瞬時に取って笑、左ヒジに擦過傷が出来た程度で済みました。

「安全に、強くなる。」 これは自転車競技界全体の共通認識であるべきと思います。当部もこの点については様々な経験を経て必要な対応・体制を取っており、その辺はまた別の機会に詳しく書きたいと思っています。今回は主に「軽度の落車後の対処法」にしぼって、いくつか書いておくことにしましょう。

 落車直後に何をすべきか

落車が起きてしまった場合に、現場での初動として何をすべきか。当部が2年ほど前に、現役の消防局員として働いていらっしゃる自転車レーサーの方に教わったことの中から、いくつか共有しておきましょう。

① 後方安全の確保

公道でのチーム練習中、誰かが落車した場合には、無事である他のメンバーの一人がすぐに落車現場の後方(自分達が走って来た方向)に行って、後続のクルマ等に大きなジェスチャーで注意喚起をし、二次災害を防止すること。これが真っ先に重要なことです。今日の例で言えば、先に落車していたグループの誰かがこの行動を取っていれば、我々はもっと減速してその場を通り抜けることが出来たかもしれませんね。

② 当事者の受傷状況の確認、状態保持 or 退避の判断

次には、落車した本人のケガの状況確認をします。ヘルメットの損傷有無も見て頭を打っているかどうかを確認します。意識があり身体も動くようであれば、とりあえずすぐに歩道や路肩へ退避します。その辺に転がっているだろう自転車も同時に退避させます。頭を打っていて意識朦朧・喪失であったり、どこか骨折をしている等ですぐに動けない場合は、その場で動かさないようにします。この場合特に後方安全の確保が重要になります。意識面に問題のある場合は頸椎の損傷が一番怖いので、顔・首が動かないよう、補助者が地面に手~肘を付けるような形になって両耳付近を挟んで仰向けを保持しておきます。

③ 必要に応じ119番

上記での「すぐに動けない」状態や、出血が多い場合などは、救急車を呼ぶことになるでしょう。「火事ですか、救急ですか」と聞かれるので救急ですと答え、落車当事者の状況や、現場の場所の説明を、電話越しの消防スタッフに落ち着いて伝えるようにしましょう。

④ 救急車が来るまでの間の対処

消防庁によれば、令和元年において、救急車の現場到着所要時間は全国平均で8.7分だったそうです。重篤なケースの場合は、その時間に止血・心肺蘇生・人工呼吸等の応急処置をすることで、救命率を上げることが可能です(残念ながら自転車事故の場合、AEDを使えることはトラック競技場でもない限りまずありません)。そうした応急処置については正確に知っておく必要があるのでここではあえて記載しませんが、専門的な情報をきちんと確認し覚えておいて欲しいと思います。

機材のチェック

幸いにして軽傷で済み、練習を続けられそうという場合でも、すぐに乗り出さずに落車した自転車のチェクを落ち着いて丁寧にしておくようにしましょう。主なチェックポイントは、以下のような点になるかと思います。

① ホイールが振れていないか、ブレーキシューと当たっていないか。

② ハンドルバー/ステムが曲がっていないか、ブレーキレバーが曲がっていないか。

③ サドル/シートポストが曲がっていないか。

④ フレームにキズやヒビはないか。特にカーボンフレームの場合は表面から見えなくても内部損傷のある場合があるので、乗車再開してまっすぐ走らない等の違和感がある場合は走行を中止する。

⑤ リアディレイラーがきちんと作動するか。特にフレームのエンドから曲がっていて、ロー側に入れるとホイールに接触したり巻き込みそうにならないか。

⑥ 自転車を数cm持ち上げて落としてみて、異音やビビりのあるところはないか。

⑦ サドルバッグ、サイクルコンピュータ、ボトル、ライト等の付属品やアイウエアは全てあるか。落とし物は後続の障害物にもなるので要回収。

これらをひと通り確認した上で、ゆっくりと練習再開し、問題ないことが確認出来てからスピードを上げていくようにしましょう。

擦過傷の処置、救急箱の中身

擦過傷(いわゆるスリ傷)の治療に関しては、「モイストヒーリング(湿潤療法)」と呼ばれる、創傷部位からの滲出液を表面に保持してその自己治癒力を活用する方法が普及しており、既に子供の頃からこの方法でお母さんに処置してもらった学生も多いことでしょう。傷口を水道水で洗い、その後ハイドロコロイド素材等の創傷被覆材(なんとかパッドの類)を貼る、というのが一般的です。

ハイドロコロイド系パッドも当初は価格が高く大判サイズもなかったのですが、今ではドラッグストアのPB製品等も出て価格が下がり、1日当りで比較すると普通の絆創膏とさほど変わらないくらいまでになって使いやすくなって来ました。またサイズもある程度大きめのものまで揃っています。

ただし落車で出来がちな面積の広い擦過傷はさすがにカバー出来ないので、「食品用ラップ&ワセリン」というのも現実的な解になります。外科医もそれで十分と推奨しているので、価格面も含め競技の現場ではよく採用されているのではないでしょうか。
昔のように、消毒薬(マキロンやヨードチンキの類)で洗ってガーゼを貼り滲出液を吸収させつつかさぶたを作ってその下で治す(でもくっついては剥がすの繰り返しで痛いわ治らないわ)、といったことではもうないので、救急箱の中身も昔に比べて品数が減って少しスッキリした感じです。僕も今回久しぶりに自分の救急箱の中身を整理してちょっと見直しましたが、概ね以下のような部材・用品があれば大丈夫ではないかと思います。

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救急箱の中身のチェックリスト(例)

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救急箱の実際の中身(例)

包帯やガーゼは、それを患部に直接用いるためではなく、ラップ処置をした際にラップの端から血液や滲出液が漏れてきて服や帰りの車内を汚さないように、ラップの上から(ラップより広く)当てるためのものです。またガーゼは傷の洗浄時にも使えるので、多めに準備しておくと良いでしょう。

レースや合宿の現場では、往々にして清潔な環境やきれいな水道水が得られない場合(蛇口はあっても汚いトイレの手洗いだったりする)もあります。処置の清潔さについては言い出せばきりはありませんが、しょせん屋外でラップに指でワセリンを塗るといった(医療関係者からすればどのみち”不潔”な部類の)手法しかありません。貼るパッドの接傷面を触らない等は当然として、ゴム手袋を用意しておく、ワセリンはボトル式ではなくチューブ式のものを選ぶ、等の現実的に可能な努力はしておきます。水に関してはそのようなことも想定される試合会場の場合に、僕がそれとなく2リットルのペットボトルを買っておく(必要なければ家で消費すれば良いので)ようなこともしていたりします。

当部では、高校チーム、大学チームのそれぞれで、試合等には常に救急箱を持っていくことにしています。大切なのは、1回の落車で結構な量の部材を消費することもある(擦過傷が何か所にもなる)ため、後日使った部員がその分だけきちんと補充しておくという点です。マネージャーが救急箱の中身を、上記のようなリストを基に定期的にチェックして、いざという時にアレがない!コレがない!とならないよう整備しておく必要があります。一度誰かが頑張って内容完備した救急箱も、放っておくとあっという間にめちゃくちゃになるので(これは部の工具箱も同様ですね)、補充ルールの徹底と定常チェックが大事です。

落車から学ぶ

やや大きめのケガを伴うものや、自動車や歩行者等との交通事故に当たるものについては、体育会当局へ報告することにもなっているので、当部ではごく小さなものを除き、落車の出来るだけ当日に当事者から部全体へ事態報告をすることにしています。発生状況、原因、対策の大きく3点がその内容です。
落車には必ず原因があり、再発防止策があります。我々に原因のあるものはもちろんのこと、仮に全くこちら側に非のないものであっても、もし自分が相手の立場だったら本来どうすべきだったのか、と他山の石として考えておくことが出来ます。これらを通じて、チームメンバー全員が、自身の経験するわずかな落車事故(ゼロであるに越したことはないのですが)だけではなく様々なケースをスタディし教訓としておくことが出来る。これが部全体における事故減少・予防に寄与するものと考えています。

また、擦過傷や軽度の打ち身程度であれば、練習を休む必要はありません。初心者のうちや初めて落車を経験した時などは、その精神的ダメージでしばらく練習を休みかねない部員もいますが(16歳にして初めて自分の血を見た、という高校生もかつていたほどです)、そういった選手を鼓舞して練習に引っ張り出すのもコーチの役割です。その一方、骨折した選手には早く治るよう安静を強く指示し(自由時間が増えたゆえにフラフラ出歩く学生が多いです)、同時にカルシウム補助食品を送って治癒へのモチベーションを高めるようなこともしたりします。

自転車競技において「落車ゼロ」という目標は、こう言っては本当はいけないのでしょうが、やはり「永遠の課題」です。落車や事故の重さは、現役時代よりも社会人になって歳を重ねるほど、強くかつ現実性を伴って感じられるようになります。その感覚を持った指導スタッフが正しく現役諸君を導き、落車件数の最小化、受傷レベルの最小化を目指していきたいと考えています。これからもこの場で、「安全に、強くなる。」については時々書いていきたいと思っています。

(2020/3/15)