総監督ノート

~学生自転車競技のコーチングメモ~

益子直美さんとの対談 ~ ほめ方・叱り方・怒り方?

去る12月21日夕方、ウェビナーというものに初めて登壇して来ました。
「CHEER UP BIZ ~ スポーツから学ぶビジネスのヒント」と題するもので、元バレーボール全日本代表でタレント・スポーツキャスターの益子直美さんや、MCの井上マーさんと共に、スポーツ現場での指導・育成手法がビジネスにも応用出来るのでは、といったテーマで約1時間の座談会をするものでした。

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今回のWebinar登壇メンバー(Facebook広告より)

私のような”一介のサラリーマン”が並ぶような場所では本来ないのですが、慶應義塾の大先輩で本企画の主催者であるグローブ・マーケティングの宮田社長には従前から大変お世話になっていて、頼まれたら断れないのです(←宮田さんがもしお読みでしたらすみません)。
また益子さんの旦那様は元自転車競技選手の山本雅道さんで、僕は直接お目にかかったことはないのですが、当校と同じ神奈川県(横浜高校自転車部)ご出身ということで、勝手に親近感を覚えていました。

このウェビナーシリーズの初回ということで、次回以降へつながるべく少しでもお役に立てればというつもりで、数回の事前打ち合わせを経て臨みました。この企画を通じて僕自身学んだことが沢山あり、この貴重な機会をくださった宮田社長はじめグローブ社の皆様、そして益子さん・井上さんには改めて謝意を申し上げます。

<今回の目次>
● 益子さんの意外な現役時代
● なぜ僕が「怒らない」のか
● 怒らないけど、叱りはする
●「ほめて育てる」ことの功罪

益子さんの意外な現役時代

事前打ち合わせから本番まで、出演者やスタッフの皆さんと色々な話をしました。その中で益子さんが繰り返し仰られていたことがあります。
それは、「高校時代まではずっと怒られてばかりだった。実業団になってからも、バレーボールを早く辞めたくて仕方なかった」というものです。

益子さんと言えば、1980年代~1990年代前半の日本女子バレーのエースアタッカーであり、その美貌ともあいまって絶大な人気を得ておられました。
さぞかし華やかな現役時代を過ごされ、惜しまれながら引退された後もテレビやイベントにひっぱりだこ、というのが大方の印象でしょう。

ところが、選手時代はそうではなかったというのです。
高校までは先生・監督に言われるがままに、怒られるがままに、ひたすらボールを追い掛ける日々。実業団のイトーヨーカドーに入った途端、自分で考え楽しめと言われてもどうしたら良いか分からない。若くして日本代表に選ばれ、トスが上がって来たら決めなきゃいけないというプレッシャーに常に晒されて。などなど。

そうしたご経験を踏まえて、「指導者が絶対に怒ってはいけない」をルールとする小学生のバレーボール大会「益子直美カップ」を主催され、バレー界の指導法改革に挑まれています。
対談の中でも仰っていましたが、「もし監督が怒ったら、それを怒るのが私の役目」だそうで、そうした企画力・行動力・発信力は、本当に尊敬に値すると思います。

実は僕も、自転車競技を始める以前の中学時代は3年間バレーボール部だったので、「ひたすら怒られる」のはよく分かります。当時はそれこそ「水は飲むな!」の時代ですから、どの運動部でも怒られ続け、部活終了時刻が来るまでひたすら我慢するのが当たり前だと思っていました。
だから、高校でもバレーボールを続けようとは1ミリも思わなかったし、自転車部に入って全部自分で考え伸び伸び練習することが、とても自由に思えました(もちろん、それで遠回りをした部分もかなりありますが)。
バレーボールを続けていたら今の自分はなかったと思うと、そんな中学時代にむしろ感謝すべきなのかもしれませんし、バレーを通じて協調性やチーム運営を学んだというのはあります。しかし、果たしてひとりのジュニアアスリートとして幸せだったかというと、甚だ疑問。ただ当時はそのような部活がほとんどだったと思います。

なぜ僕が「怒らない」のか

僕自身はいわゆる「アンガー・マネジメント」をきちんと勉強したことがまだないのですが、それでも2006年に高校生の面倒を本格的に見始めて以降、感情に任せて部員を怒ったことは、ほとんど(恐らく一度も)ありません。
僕の現役当時(←主将としてメンバーを怒りまくっていた)を知る同期前後や近い先輩方からは、「宇佐美は丸くなったな~」とよく言われます。
「いや、宇佐美さんには怒られましたよ~」と言う若手OB諸君がいるかもしれませんが、それは「叱られた」「激励された」の誤りですので、記憶を修正してもらえたらと思います笑。

自転車競技というのはその特性上、試合の前までに選手の実力をタイムやワット(出力)等から大体把握出来るので、試合におけるタイムや戦績を比較的高い確度で想定することが出来ます。
メカトラブルや落車事故を除けば、番狂わせやまぐれ勝ちというのはあまり発生せず、強い奴が勝つ。あるいはほぼ同等レベルで切磋琢磨する選手達の中から、当日最もコンディションを合わせられ、戦術的にも成功したチーム/選手が勝つ。そういうスポーツです。
にも関わらず、もし監督が「なんだこのタイムは!」「こんな順位しか取れなくて!」と選手を怒鳴りつけていたとすれば、それは選手の実力を正しく認識出来ず、従って適切な目標設定や戦績予測が出来ない指導者だということを、自ら露呈しているようなものです。

また、平日から一緒にいられない、週末中心の社会人ボランティアコーチが、大した根拠もなく怒りの言葉をぶつけても、部員達との距離は離れるばかりでしょう。逆に、日頃から選手達のことを深く理解していれば、彼らの心に自然と寄り添うことが出来、浅はかな怒りの感情や言葉は出て来ないはずです。

社会人コーチとしての限界をわきまえながらも、可能な限り部員一人ひとりの個性を理解しようと努め(幸い当部は大学・高校合わせて30~40名規模なので、ぎりぎりチャレンジ可能です)、レースで仮に目標に満たない戦績だったとしても、怒る代わりに一緒に原因を考え次につながる会話をする。僕が出来るのはせいぜいそんなところですが、このスタンスを今までも、これからも続けていこうと思っています。

怒らないけど、叱りはする

僕は現役諸君に対して「怒る」ことはまずありませんが、「叱る」ことはかなりあるほうかもしれません。ほんの一例ですが、

  • 部車や部室が機材や荷物でぐちゃぐちゃになっていたら、「汚い!ちゃんと整頓する!」と大声で言う
  • トラック競技で15mmレンチ(トラックレーサーを組み立てるのに必須な工具)を持参せずチームメイトから借りようとしている部員には、「自分のことは自分でする!」と注意する
  • 練習不足が見るからに分かる選手には、試合後のミーティングでしっかり指摘する

といったことです。大学生にもなってそんな「しつけ」をしなければいけないのかと思う時もなくはありませんが、放置するわけにもいかないので、うるさ過ぎて右耳から左耳へ素通りとならない範囲において(目に付いた大小様々なものの中で、重要な2~3割に絞る感じ)、出来るだけ反応するようにしています。
毎年のチームの出来具合や主将・副将のキャラクター等によって、あまり叱らずに済む年もあれば、結構疲れる年もあります。

大切なのは、「指導者の判断基準がどこにあるか」「世間の物差しはどのくらいか」を、部員達にきちんと認識してもらうことだと考えています。
上記の例でいえば、部員達に嫌われたくないからとこれらのことを見逃していると、「監督はこれは許してくれている」という理解になりますし、「世の中ここまでやっても大丈夫なんだ」と社会をなめたような人材を育成することになります。

そうした観点から、僕はあえて「出来るだけ大勢の前で叱る」ことにしています。
一般的には「ほめる時は皆の前で、叱る時は個別に」というのが定石とされていますが、僕はあえてそうしません。
「監督は何を叱るのか」という物差しがチーム全体に共有される効果のほうが大きいと考えているからです。今までそうして来て、対象となった一人の部員との関係が悪くなったことは全くありません。

指導者が言葉を呑み込んだことにより、叱られる機会を逸した後輩達が社会に出て、会社の上司や取引先に似たようなことで怒られたとしましょう。あるいはもはや怒られもせず、黙って評価が低くなるだけかもしれません。
その段になって、「何で自転車部の時に、監督は言ってくれなかったんだろう」と恨まれるようなことがあれば、それはいわば指導者による「不作為の罪」であり、指導者失格だと思うのです。それよりは、後輩達が30歳になって自身が部下を持つようになった頃、「あの時はムカついたけど、今ならその意味が分かる」と思ってくれることを、僕は望んでいるのです。

「ほめて育てる」ことの功罪

今回の対談の中では、この「怒る・ほめる」という話題にも触れられ、僕も「基本的にはほめる指導をしています(部活でも会社でも)」という趣旨の発言をしたと思います。
実際、今の会社に来た当時(8年ほど前)、部署のメンバーから「部下をほめる上司を初めて見ました」と言われて少々驚いたことがあります。

「ほめて育てる」というフレーズは、もはや珍しい話では全くなくて、現在の学生達の親御さんや彼らが育って来た環境において、むしろ常識と言えるものでしょう。
そうした教育メソッドやノウハウ本なども世の中に溢れていますから、今さらここで僕が説明するまでもないと思います。いわく、

  • 気持ちを込めてほめる、おざなりなほめ方をしない
  • 結果ではなくプロセスをほめる
  • ネガティブワードで怒るのでなく、ポジティブワードで行動を変える
  • 批判ではなく応援、言う前にまず聴く
  • 人間同士として相互尊重する

などといったことです。自転車競技のようなコツコツ型かつキツい競技の場合、ほめられ励まされることは特に大切だと思います。

しかし、スポーツ界において、頭では皆分かっているはずなのに、なぜいまだにこのようなことを浸透させる努力が必要なのか。今回の座談会メンバー間で話していたのは、やはり短期的な試合結果を指導者が求めてしまうためであることや、ボキャブラリーが出て来ない時につい怒ってしまう、といったことでした。
この辺りは、スポーツ界全体でいい加減変えていかなければならない課題でしょう。

一方で、指導現場にいる人間としては、「ほめるだけでは済まないこともあるよ」というのも本音だと思います。
当部の運営理念は、以前 にも書いた通り、「強い選手を作る」ことではなく、「自転車競技を通じて全社会の先導者を輩出する」ことです。
そのためには、ほめられたことしかなく、傷ひとつないガラスのような人材を社会に送り出すことが正解とは言えないでしょう。
かといって、理不尽に怒鳴られる経験を体育会で積んで来たから会社のパワハラにも耐えられます、といった価値観も、これまたすっかり時代遅れだと思います。

肝心なのは、「どのくらい努力すれば評価に値するのか」「正しいことと間違っていることを区別出来るか」ということを、青少年期にしっかり体験するということだと僕は考えています。
「大して努力していないのに、すぐに頑張ったねとほめられて来た」
「間違ったこと、いけないことをしても、指摘されずお目こぼしされて来た」
といったような環境で育った子供は、勘違いしたまま高校生・大学生になり、そこからの修正がなかなか困難です。
また、そうした家庭に限って、親御さんが「監督さんが我が子を怒ってくれないかなあ」と期待されているような感じを受けることも正直あります。
まあ、現代の”きょうだいのような”親子関係からすれば、叱る役目を親御さん以外の誰かが引き受けなければならないのかもしれません(僕自身は子育て経験がないので、若干想像ですが)。
そう思って、僕が「だめなものはだめ」と叱る役割をあえて演じるようにしています。また、本人の努力幅に応じてほめ方のマグニチュードを変えることにも留意しています。

叱ることは、ほめることの何倍もエネルギーを必要とします。確たる思いを持っていなければ叱ることは出来ません。けれどそこから逃げず、叱る勇気を持って欲しい。同時に、その何倍もほめてあげて欲しい。それが将来のコーチングスタッフに向けた、今回の僕からのメッセージです。

(2020/12/23)