総監督ノート

~学生自転車競技のコーチングメモ~

「早慶戦」は存続出来るか

去る11月14日(日)、好天に恵まれた山梨県境川自転車競技場にて、第54回早慶自転車競技定期戦が開催された。コロナの影響で2020年は中止を余儀なくされたものの、2年ぶりの開催が実現したことは、両校現役・OB/OG一同にとって大変喜ばしいことだった。

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早慶戦オリジナルゼッケンと、開会式での両校主将によるペナント交換

早慶戦」と言えば、明治36年1903年)に早稲田から慶應義塾へ挑戦状が叩きつけられたエピソード(これが早慶戦のルーツ)で知られる野球部や、毎年11月23日の晴天特異日に開催される蹴球(ラグビー)部のことが一般的に想起されると思うが、自転車競技にも早慶戦は、ある。
当部のみならず、塾体育会に現在加入している計43部のうち、山岳部や水泳の遠泳部門などごく一部を除きほとんどの部・競技で早慶戦が行われている。種目や男女の別、また春秋2回実施しているものまで数えると、2019年度実績で計67回の早慶戦が実施された(出典:体育会公表資料)。

しかし、周知の通り宿敵・早稲田大学のスポーツに対する注力度合いは高く、多くの競技でエリート高校生選手を集め強化が図られている。対する我々慶應義塾大学は、部にもよるが総じては普通の受験や指定校推薦、及び附属校進学者で構成される雑草軍団。特に早大人間科学部が創設された1987年、さらにそこからスポーツ科学部が独立した2003年を契機に、彼我の競技力格差は顕著に広がってしまったと言って良い。
端的に言えば、「つまらない早慶戦」が多くなったということだ。このままの状態で、「伝統の早慶戦」がこれからも存続し得るのか。あるいは「昔はそんな対抗戦もあってね」という思い出話に置き換わってしまうのか。そんな懸念を、自転車競技早慶戦を観戦しながら考えていた。

<目次>
 ● 早慶戦全体では、慶應の大幅負け越し
 ● 今年の自転車早慶戦はどうだったか
 ●「伝統の一戦」の価値とは
 ● 今後の早慶戦の価値向上を目指して

早慶戦全体では、慶應の大幅負け越し

下図は、2010年~2019年の10年間(2020年はコロナ影響で中止が多く、2021年はまだ現在進行形であるため)に行われた体育会各部の早慶戦勝敗を集計したものである。紺色が慶應の勝利、えび茶色が早稲田の勝利、灰色は引き分けもしくは開催の無かった年である。

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2010年~2019年の各部早慶戦勝敗状況

※10年間で5回以上の記録が取れる部を対象=近年に女子部門でも開始された部や、2016年以降の体育会加入部を除く計56部・部門
※部・部門の名称は一般的に分かりやすいよう筆者が一部加筆・修正している(例:ソッカー→サッカー)
※春・秋の年2回実施している部は、1勝1敗を引分、それ以外をどちらかの勝利とカウントしている
※出典:体育会公表資料

一見して、えび茶色に支配されていることが見て取れる。特にグラフ下方には、早稲田の10戦全勝の競技が並んでいる。我が自転車競技部も、たまたま2010年度が東日本大震災の影響で非開催であっただけで(この年は通例の秋ではなく翌春2011年3月13日が開催予定日であった)、それが開催されていれば10戦全敗の仲間に入っていたことだろう。
当部まで含めると計19部・部門、実に全体の1/3が「全く勝負になっていない」競技だと言わざるを得ない。せいぜい4:6程度で互角の戦いを演じているのは、引き分けの類を考慮しても、全体のやはり1/3程度ということのようだ。

他部のことは分からないが、少なくとも自転車競技のケースで言えば、このような状況下で、両校とも部員達の士気がなかなか上がらない。
慶應義塾側は、何とか一矢報いようと毎年監督や先輩方から激励の声が上がり、また現役部員も自発的に頑張ってはいる。ただし「負けても言い訳がある」構造が根底にあることは否めず、インカレ等と同じような緊張感とはなりにくい。
対する早稲田側も、あくまで当方からの推測となるが、力を抜いても勝てる相手との、かつ自転車界ではあまりない2チームだけの対抗戦という変則的な(=自身の戦績・プロフィールにあまり寄与しない)試合に対し、モチベーションが上がらないのも無理からぬところかと思われる。

それゆえ、主に慶應側の部員数が少なかったり、昨年のようなコロナという大義名分があったりする年には、現役同士の話し合いで比較的安易に「中止」という選択が取られる傾向にある。「伝統の一戦をやすやすと中止にするとは何事だ!」と一定年代以上のOB/OG各位は憤慨されるだろうが、これが現在の早慶戦が置かれている偽らざる実態である。
いくら先輩方の思い入れがあったとしても、試合は原則として現役部員達のためのもの。彼らのモチベーション次第では、長らく続いて来た伝統の一戦の灯が消えゆくことも、決してあり得ないことではない。現場に近ければ近いほどそんな危機感があったので、今年の早慶戦が無事開催されたことに、実は僕はものすごく安堵していた。

今年の自転車早慶戦はどうだったか

自転車競技早慶戦は、記録によれば昭和14年7月に芝公園運動場で第1回大会が開催された。戦前に3回実施された後、戦争を契機に長い休止期間となったようだが、昭和36年10月に箱根ヶ崎(現在の東京都瑞穂町)・大垂水峠でのロードレース形式で第4回大会が復活し、それ以降、どちらかの部員数不足等で非開催の年度を時々挟みながらも、今日まで80年余りの歴史が続いている。

基本的にはトラック競技で開催し、短~中距離の数種目を両校総力戦で争う。時代によって採用種目は変遷して来たが、今年は以下の種目・人数で実施した。

①1kmTT(両校3名ずつ)、②ケイリン(同3名)、③スクラッチ(同5名)、④エリミネーション(両校全員)、⑤チームスプリント(両校1組)、⑥チームパーシュート(両校1組)

①~④の個人種目は、1位7点、2位5点、・・・6位1点を付与する。⑤⑥の団体種目は、勝者に10点、敗者に5点を付与する。これらの得点の総合計で全体の勝敗を決する方式、いわばインカレを2校だけで行うようなものだ。
特に早慶戦らしいのはエリミネーションで、両校全選手が出場する。2種類だけのユニフォームが入り乱れる光景は自転車競技においてはユニークで、日頃の学生主要大会にまだ出場権のない、大学から競技を始めた部員達にもレースの機会が与えられることは、彼らの励みになっている。また早稲田の強豪女子選手が混走し上位に残るようなこともあって痛快だ。

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両校全選手で競われるエリミネーションレース

第54回となる今年の一戦は、個人各種目で慶應が粘り強く食らいつき、エリミネーションで川野(経2)が優勝するなど善戦した。ただしやはり早稲田の出場選手の力量が総じて上回り、各種目を対抗得点12対10または13対9といった比率でじわじわと離された。団体2種目では、チームスプリントが0.16秒の僅差で敗北、逆にチームパーシュートでは3秒余りの差を付け快勝した。
これらの結果、総合得点は早稲田66点 vs. 慶應52点となり、今年も残念ながら準優勝(←早慶戦は優勝か準優勝しかない)に終わった。ただしレース内容としては、来季にいよいよ長年の雪辱を晴らすとの目標を立て得る、期待の持てるものだったと評価したい。

自転車早慶戦の、この20年の勝敗状況を集計したものが下図である。年によって種目構成・対抗得点の設定が異なるので、両校の総合得点を百分率に換算し時系列の推移を見ている。

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2001年~2021年の早慶自転車競技定期戦 対抗得点構成比推移
(選手数不足や天災等で中止の年がある)

慶應が最後に勝利したのは2001年。この年は両校部員数が少なくトラック競技を何種目もこなせなかった状況があって、千葉県・成田市のサーキットを使ったロードレース形式で実施した。当時ちょうど中長距離に脚質の偏っていた慶應へそれが有利に働き勝利を収めることが出来たが、この例外的な年を最後に、当部は勝利を味をすっかり忘れていることになる。

ただし、2012年頃以降徐々に対抗得点の比率は回復傾向にあり、希望も見えて来ている。かつて80:20ほどの大差だったものが、今年は56:44まで迫って来た。当部諸君の今後益々の奮起に期待したい。

伝統の一戦」の価値とは

早慶戦に限らず、様々な国やスポーツで「伝統の一戦」("The Classic")と呼ばれるカードがある。英国におけるオックスフォード大学×ケンブリッジ大学ラグビーレガッタはかなり似たような例であるし、国内プロ野球なら巨人×阪神、欧州サッカーならバルセロナ×レアルマドリード、といった具合に多くの事例が挙げられよう。

これらの対抗戦に人々が求めているものは何か。あるいはなぜこれらの対抗戦がある種の「ブランド」として認知されているのか。
おそらくそれは、その伝統ある2つのチームなら高い品質が常に保たれており、その戦いはきっと観るに値する、少なくともがっかりはしない、どうせ観るならこれ、という期待感・確約感によるものであろう。
その試合に臨む選手達の(他の試合とは少々異なる)緊張感やライバルへの闘志、それを応援する観客の質、大会運営側の熱量、といったことも含めて、コンテンツとしての総合的価値が認められているということではないだろうか。

仮にそうだとして、現在の各部・競技の早慶戦を顧みた時に、そのようなコンテンツ価値のある一戦はどれほどあるか。
少なくとも我が自転車競技では、専門サイトに勝敗が報道されるわけでもないし、両校の学内スポーツ新聞に掲載されることさえ(早稲田側は時々あるかもしれないが)ほとんどない。今年は無観客試合となった代わりにYouTubeでLive配信を実施したが、果たして何人の関係者が観てくれていただろうか。大会運営は両校のOBボランティアと学生マネージャーによる手弁当で、ケイリンの先頭誘導員にはいまだに僕が駆り出されている始末である(もちろん電動デルニではなく自力ピストレーサーである)。

一方で、十分なコンテンツ価値を持ち、豊富なメディア露出や開催収入を得ている部・競技の早慶戦も存在する。野球はもちろんのこと、ラグビーも(勝敗具合は別として)TV放映があるし、いくつかの球技系種目は入場料を取り立派なカラー印刷のプログラムを配布しているようなところもある。そうした早慶戦を開催出来ている部は大変尊敬するところであり、隅々まで参考にさせていただきたいと思う。

しかし、現在までそうした運営が出来ている競技であっても、引き続き両校が高いレベルで白熱した試合を展開していかなければ、コンテンツ価値の維持はおぼつかない。東京五輪が終わって国内スポーツ界の環境が今後様々に変化していく中で、変わらぬ価値を維持することは大変なご苦労があるだろうと想像される。OB・OG・家族・親族の単なる盛り上がりだけでは間に合わず、現役諸君や関与度の高い卒業生による強力かつ継続的なコミットメントがそこには求められよう。

今後の早慶戦の価値向上を目指して

我々自転車競技早慶戦が、前述のようなコンテンツ価値を持つようになるには何が必要か。
まずもって慶應義塾側の競技力向上、それを受けて立つ早稲田側の”本気”の発露、それらによって実現する白熱した接戦と感動。さらには大会運営レベルの向上とマーケティング&プロモーション、及び全ての基盤となる自転車競技自体の注目度上昇(ただし早慶戦の価値向上がそれに資するという循環参照でもある)、等々が課題に挙げられるだろう。

ただし僕は、いつまでも早慶間の競技力格差が付きっぱなしだとは思っておらず、むしろこれから均衡が進み面白くなって来るのではと考えている。
これからの時代、ただ有名大学を出れば将来が保証されるようなことはまずない。あるいは大学を経てプロを目指すとしても、セカンドキャリアの問題はほとんどのスポーツに共通した課題だ(その点、選手生命の長い”競輪”のある自転車はまだましなほうだ)。スポーツを通じていかに頭脳も鍛え、また将来につながる経験や友人を得られるか、がこれまでになく重要になっている。

今の高校生達はこれらのことを良く分かっているし、少子化が進み”売り手市場”にもなっているので、彼らが(家族も含めて)自身で進路をよく吟味し、様々な選択肢を検討するようになっている。またサイクルスポーツの裾野拡大に伴って、当校でさえ、附属校以外からの競技経験者(しかも競技実績・学業水準ともに高い)が一定確率で入部してくれるようになって来ている。

こうしたある種のダイバーシティ進展によって、これまで固定化してしまったと思われて来た両校の格差構造にも変化が起きると考えられるし、足元で既に起きつつあるとさえ思われる。
そうした地殻変動が近い将来顕在化した時に、しっかりそれを受け止めチームの強化につなげられる体制があるかどうか。大会運営などバックヤードの品質も向上させられるOB/OG会の底力が具備されているかどうか。それらが問われていくだろう。

今年の早慶戦のプログラムの監督寄稿にも書いたことだが、昨年、某スポーツ専門放送局から、eレースの早慶戦を番組化出来ないかという非公式な打診があった。現在その話は一旦霧消しているが、そのくらい「早慶戦」には一定の社会的ブランド力があるということだ。
単に早慶両校の親睦をとか、社会人になってみると価値が分かるぞとか、あるいは無条件に早慶戦は死んでも勝てとか、そうした情緒的・前時代的な価値付け(?)は今の学生諸君にはほとんど響かない。
彼らが学生アスリートとして心底から真剣勝負をしたくなる早慶戦。それを通じて自転車競技界全体がレベルアップし市場拡大に貢献する早慶戦。そうした本質的価値を備えた「伝統の一戦」の姿を我々も実現すべく、今後も両校の現役・OB/OGが一体となって努力していきたいものである。

(2021/11/20)