総監督ノート

~学生自転車競技のコーチングメモ~

創部記念日 ~「日本最古」なだけで良いのか?

新型コロナウイルス対応で全世界が揺れ動いている現在、慶應義塾や体育会も各種行事や活動の中止・自粛判断をせざるを得ない状況となっています。当部も2月下旬から南房総で実施していた合宿を途中で切り上げて来たところです。

そんな中で、本日・3月3日、我が慶應義塾体育会自転車競技部は創部記念日を迎えました。1902年(明治35年)が創部年ですので、2020年の今年で満118年を迎えたことになります。
日本において自転車競技は、いわゆる「競輪」を別とすると比較的最近認知されてきた新しいスポーツというイメージなので、この古さを話すと大抵驚かれます。一般にはあまり知られていないことですが、自転車競技は1896年の第1回近代五輪(アテネ)以来、今年の2020東京五輪まで、一度も外されることなく継続実施されているたった5つの競技のうちのひとつです(他は陸上・競泳・体操・フェンシング)。そしてご多分に漏れず、慶應義塾自転車競技においても日本の草分けとしていち早く取り組み、現存する国内最古の自転車競技チームとなっています。
(※当部以前には、1886年発足の帝国大学(現東京大学)教員による「自転車会」、1893年発足の岩崎久弥らによる「日本輪友会」等の記録がありますが、いずれも現在まで存続していません。)

 今回は、この118年の歴史の要点を今後の部員諸君のために書き残しておくとともに、119年目から将来に向けて我々はこの歴史をどうつなげていくべきかについて考えてみたいと思います。

当部118年の歴史

実は当部の歴史をまともに遡って明らかにしたのは、1993年のことです。当時、単なるサークル扱いだった(そのいきさつは後述します)当部は、体育会加入を目指して当局へ提出する分厚い申請書を作成することとなり、その過程で馬塲杉夫コーチ(当時)が、三田の塾図書館の奥のほうから明治時代の資料を掘り起こしてくれたのです。

明治時代:草創期

創部が1902年3月3日だと判明したのは、この「慶應義塾学報」によってでした。

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慶應義塾学報第50号 明治35年3月15日付

ここにある通り、「発会式」を3月3日に開催したという記録をもって、当部の創部年月日と定めています。「慶應義塾自轉車倶樂部」という名称は、字体を変えながら現在のOB・OG会の名称として生き続けています。おそらくこの当時に自転車を乗り回せるような学生は、今で言えばベンツかポルシェを乗り回している学生のようなものだったのではと想像されますが、ここには「万事質素を旨とし」とわざわざ?書かれていますね。

この設立時の初代部長は、慶應義塾創立者福澤諭吉先生のご長男で、後に塾長ともなる福澤一太郎先生。また初代副部長は、福澤諭吉先生の三女・俊の夫であり、清岡暎一名誉教授の父でもある清岡邦之助氏だったことも、同年7月の塾学報に記事として残っています。

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福澤一太郎先生(塾HPより)

創部翌年の1903年3月には、その11年前に創設された体育会に10番目の部として加入しています。塾蹴球部(ラグビー部)の加入は同年秋となっていますから、それよりも先だったということです。しかしこれは「1年足らずして廃止」、つまり体育会を脱退したとの記録が残っています。
なぜそんなことになったのか、「自転車部のドラ息子達が、当時の体育会幹部と衝突したからだ」などといった憶測話はあるものの、当時のいきさつを知る先輩は1993年時点で既におらず、真相は闇の中です。いずれにしてもこの脱退以降90年間、当部は塾の代表として公式戦に出場していながらも、塾内では単なる「独立団体」つまりサークルとして歴史をつないでいくことになります。

大正~昭和時代:発展期

大正~昭和初期の歴史としては、大正6年の第3回極東選手権での優勝(池田清次郎OB)、昭和11年の日本学生自転車競技連盟設立(慶・早・明・立・東京商科(現一橋)の5校による)、昭和14年の第1回早慶戦開催(慶應の勝利)、昭和15年の幻の東京五輪代表輩出(二瓶慶一OB)、等が主なトピックとして挙げられます。戦前の国内自転車競技界の発展を担う重要な団体のひとつであったことが推測されます。

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二瓶慶一OBの雄姿(二瓶家提供)

戦後は自転車競技に取り組む大学も増え、古豪であっても強豪では必ずしもない時代を迎えますが、1964年の東京五輪前後と、1980~90年代にかけての大きく2つの時期には一定の部員数と競技水準を維持していました。インカレにおける2回の種目優勝(1951年ミスアンドアウト:中村邦夫OB、1980年1000m速度競走:加藤清彦OB)をはじめとして、多数の全国表彰台レベルの戦績を挙げつつ、平成時代に入っていきます。

平成~令和時代:体育会加入と戦績の飛躍

前述した体育会再加入への一歩は、ちょうど僕が大学現役だった、1994年(平成6年)4月の体育会「所属団体」加入です。この時まで、当部は「サイクル部レース班」として活動していましたが、この時を境にレース班を独立させて「自転車競技倶楽部」としました。ツーリング班はそのまま現在の「サイクル部」として、当部より遥かに多い部員数にて隆盛を続けておられます。

その後、1999年には念願のインカレロード優勝(高岡亮寛OB)、それも踏まえて翌2000年に体育会「新種目団体」に昇格。創部100周年を迎えた2002年には、記念式典を品川の三菱開東閣で挙行し、当時の安西祐一郎塾長や早稲田大学自転車部の皆様などを迎え総勢160名で祝いました。この式典に合わせてKEIOジャージのデザインもリニューアルし、現在の姿となりました。

また2008年の慶應義塾創立150周年では、その記念行事のひとつとして、ゴールデンウィークに福澤先生の故郷・大分県中津市から東京・三田の大学キャンパスまでを6日間かけてリレー形式で走破する「ツール・ド・慶應1200km」を、高校生・大学生・OBの三世代が協働して企画・実現しました。11月に日吉で行われ、天皇皇后両陛下もご臨席された150周年記念式典では、「エピローグステージ」として三田~築地(塾発祥の地)~日吉間を全員で走った後、式典ステージにそのまま登場するというコーナーが設けられ、当部の存在を広く塾関係者へアピールすることとなりました。

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「ツール・ド・慶應1200km」行程図

その後、日本でのサイクルスポーツ人口の拡大とともに当部部員数も増加し始め、このブログで以前書いたような高校・大学の再建の取り組みも行いながら、体制強化を図っていきます。
2012年以降、学連レースで毎年入賞者・表彰台を出せるようになってきたことや、部員数も25~30名水準を安定して維持出来てきたことも評価され、2014年4月、明治時代の”脱退”から実に111年ぶりに、体育会の正式な「部」として改めて加入を認可されました。同月、日吉協生館内にて正加入記念祝賀会を開催しましたが、その席で河合正朝・元部長(文学部名誉教授)から「ツーリングと分離した時は存続出来るかどうか本当に不安だったが、どうにかここまで辿り着いて本当に良かった」という趣旨のスピーチを頂戴したことが印象的でした。

体育会正加入の効果で、2014年の新入部員は当初15名という、当部としては経験したことのない高水準となりました。そしてそれ以来、主な戦績だけでも、2016年全日本学生個人ロードタイムトライアル優勝(政4・池邉)、2016年・2019年インカレ女子ロード優勝(経2~4・福田)、2018年全日本学生個人ロードタイムトライアル男女優勝(医3・大前、経3・福田)など、計8回の全日本学生大会での優勝や、多数の表彰台・入賞、日本代表チームへの輩出などが出来るまでに成長したのです。

また高校においても、2007年に15年ぶりのインターハイ出場を果たして以降、ほぼ毎年継続的に全国大会へ出場しており、2015年インターハイロード2位入賞(高3・大前)、2019年全国選抜ロード3位入賞(高2・川野)といった戦績を収めています。

(※注:各選手の学年は当時)

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2019年インカレ女子ロード 福田咲絵(経4)ゴールの瞬間(筆者撮影)

「日本最古」だから、何なのか?

当部の創部から今日まで、118年の歩みをダイジェストで記載したわけですが、これはあくまで「後ろを振り返っている」に過ぎません。「歴史が長くて古いのは分かった。で、何なのか?」ということです。

前述しましたが、慶應義塾の体育会各部は大抵、日本でそのスポーツを最初に(あるいは極めて黎明期に)始めた「古豪」として位置付けられますが、その中で現在でも「強豪」でいるのは全ての競技ではありません。あるいは早慶戦で早稲田にコンスタントに勝利出来ている部は半数にはとても及びません。そして我が自転車競技部は、一定の(低い)確率で出現するスペシャルタレントが目立った戦績を収めてはいるものの、団体や総合では全く全国入賞レベルにいかず、早慶戦にも17連敗中ですが、それでいいのでしょうか?

僕は原則として、「最も歴史の長い部が、最も強くなくてはいけない」と考えています。その競技に一日でも長く取り組んでいればそれだけノウハウが蓄積し、その競技界をリードし、志の高い部員が集まり続け、競争優位を維持していく。もしその連鎖が切れる時があれば、それはそのチームの怠慢であり、競合他校に比してどこかで努力が足りなかったことに他ならない。この「理想論」から目を背けたり、捨て去ってはならないと思うのです。

もちろん、チーム運営には波があるもので、しかも選手の在籍年数が短い学生スポーツであればなおさらです。経済的に恵まれた新興校が設備面・リクルート面で優位だったり、特別選抜制度を取れない当校の境遇ももちろんあるでしょう。しかしそれらの「負けても仕方ない理由」を並べ立てたところで何の発展性もないわけで、我々としてはあくまで「日本自転車界の牽引力」であるべき、との自覚を持ち続ける必要があると考えています。

例えば練習方法ひとつ取ってみても、競合他校や選手から色々な情報を集めて試行・研究してみるのは良いのですが、単なる彼らの模倣ではなく、そこに自転車競技のパイオニア校たる慶應義塾の誇りや、自分の頭で考え切り拓いていく精神をも具備して欲しい。むしろ、身体能力や環境に恵まれていない我々だからこその創意工夫を他校にマネされたり、合同練習・合宿の申し入れを受けるような、そんなポジションを目指して欲しい。そうした高い目線を継承し連鎖させていくことが、ただ古いだけではない当部の真の伝統となり、「現存する日本最古の自転車競技チーム」のあるべき姿だと思うのです。

119年目以降、我々はどうすべきか?

伝統とは、つないでいくものです。僕が現役の時も部員一同で懸命に頑張っていたと思いますが、それでも早慶戦で勝利するには至らなかった。まだまだ努力や知恵が不足していたのです。当部の自転車競技界における(必ずしも高いとは言えない)現在のポジションを作ったのは、近年の現役諸君というよりも、そこまでのOB・OGを含めた全体責任でしょう。それを変えていかなければなりません。

 OB・OG会の強化

下図は、現時点のOB・OG名簿に記載されている卒業生の数を、卒業年毎にカウントしたものです(物故会員を除く)。当部は体育会43部の中でも部員数が少ないほうで、2019年秋時点のデータでは、当部(当時27名)は下位25%に入っています。このグラフの目盛りを見て、「1ケタ間違っている?」と思われる他部の方もいるかもしれません(が、合っています)。

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慶應義塾自転車倶樂部(OB・OG会)卒業年別人数推移

1964年の東京五輪前後にある程度部員数が増えたものの70年代には縮小し、1980~90年代に再び活性化したものの2000年代にはまた元通り。戦前から現在まで、一度も「1学年10人以上」(入部ベースではなく卒業ベース)となった年はなく、歯抜けとなっている代も少なからずあることが分かります。間が3年空いている時もあり、まさに「首の皮一枚」で部を存続させて来ました。
こうして見ると、安定して1学年4名(自転車団体競技の基礎人数)以上を確保出来ているのは、ほんのここ10年程度のことなのです。それくらいで「飛躍期」と呼ぶか?という気もしますが、戦績と合わせ相対的にはかなり飛躍して来たということと、単に多ければ良いというものでもないと思うので、一応そう表現しておきました。

118年の歴史を持ちながら、OB・OG総数はたったの計157名。この規模では、年間12,000円のOB・OG会費を70%の回収率で得たとしても、年間130万円ほどに過ぎず、現役諸君の合宿・遠征費や機材費、試合参加・運営費を支援するには明らかに「雀の涙」です。
また経済面だけでなく人的支援でも、明らかに母数不足です。体育会他部の典型例としては、指導スタッフをやってもいいと手を挙げるOB・OGは少なからずいて、その中から適任者を任命することが出来ます。それに比べて自転車競技部は、残念ながら指導者プールはないに等しく、このようなブログ形式で引き継ぐアテのない引継書を書き残しておく事態となっているのです。

しかし、このまま1学年5~6人以上のペースが安定的に継続していけば、これまでのような「新入部員の数と逝去するOBの数が同じで一向に純増しない」といった状況からは脱却することが出来るでしょう。そして最近約10年及び今後の卒業生達が、それ以前の人数は少ないけれど熱心に応援してくださって来た先輩方が自分達にしてくれたことと同様に、経済的・人的な支えとなってくれれば、これからの当部の歴史も着実に積み上げていくことが出来るでしょう。もっとも、こうした塾体育会ならではの「ボランティアOB・OG依存」のシステムが限界を迎えていることも事実で、それについてはまた別の機会で考えてみたいと思います。いずれにしても、ちょうど僕自身が面倒を見始めた世代ということもあって、現在の20代以下の若手諸君には、今後大いに期待したいと思っています。

 現役チームの進化と継承

OB・OG会のみならず、現役チームの競技力向上、活動のさらなる活性化ももちろん必要です。当部の歴史の新たなページを創っていく主役は、当然ながら高校・大学の選手諸君です。

競技力向上に関しては、我々も近年成長して来たと自負する一方で、それ以上に競合他校の成長率が高く、例えばトラック競技の上位タイムの向上には目覚ましいものがあります。つまり、我々のノウハウ蓄積速度以上に、他校が貪欲に学び伸びていっているということです。「日本最古」の当部として、これを看過していることは出来ません。今後さらに勉強・研究や創意工夫に努め、さらにそれを学ぶのみならず着実に実践し、血肉としていく必要があります。

また、以前にも書いたように、当部は「自転車競技を通じて、全社会の先導者を輩出する」ことを運営理念としています。そして社会で求められる素養は時代とともに変化していきます。時代の要請を敏感に受け止め、願わくばそのさらに一歩先を行くような部の運営をしていきたいと考えています。競技面だけでなく、メディア・広報、IT活用・DX、ジュニア育成・開拓、ボランティア、国際化など、当部として着手できていない、または取り組み不十分な領域がまだ沢山あります。

これらの競技面・運営面の両方の意味で、現役チームが「進化」していって欲しいと思っています。進化なきは退化、という意識を指導スタッフも持ち続け、部員諸君を刺激し続けていくことが大切だと考えています。

また、上述した卒業生数データの通り、当部の大きな弱点は「人数の波が大きい」ことでした。せっかく現役諸君が努力をして目覚ましい進化をしたとしても、その後部員数が激減してしまえば、そこまで積み上げて来たノウハウや高い目線は一気に消失し、また標高ゼロから同じ山に登らなければなりません。これは部を長期的に見た場合とても大きな損失であり、実際にそれを何度も繰り返してきた苦い歴史です。それゆえに、毎年の新入部員確保の重要性を口を酸っぱくして唱えているのです。近年は部員数が比較的安定しているとはいえ、例えば今年の新4年生(3名)のような代もまだ見受けられます。現役諸君にとって後輩の育成は人間的成長にも大変有効です。是非とも毎年の人材確保に知恵と汗をしぼってもらえたらと思います。

おわりに

学生諸君にとっては、自分が自転車でどれだけ強くなるか、目の前のレースでどう戦うか、といったことが主な関心事であって、今回のような当部の歴史などはあまり興味が湧かないかもしれません。しかし、早ければ3~4年生になって部の運営に本格的に携わり始めた頃に、あるいは社会人になって数年、十数年経った頃に、きっとこの重みや価値の分かる時が来るでしょう。

当部の創部120周年、125周年という節目が間近に迫って来ています。それぞれの年に、また記念パーティでも開催しましょうか。その時にどれほどのエネルギーやモメンタムを、現役チームやOB・OG会が持っているでしょうか。願わくば、現在よりもあらゆる観点で当部が進化・成長し、100周年の時よりも体育会正加入の時よりも盛大で充実し、今以上に現役・若手からシニア層までの連帯感・一体感に溢れ、塾内や自転車競技界から期待と信頼を寄せられるような、そんな時間と空間になっていれば良いと想像します。もしそうした当部の姿が実現出来たとすれば、それこそがこれまで118年の歴史をつなげて来た先輩諸氏への恩返しであり、今後の我々の誇りでもあると思うのです。

(2020/3/3)